立憲民主党の小西洋之参院議員が、令和5年3月29日行われた参院憲法審査会の幹事懇談会の後、「(衆院憲法審査会の)毎週開催は、憲法のことなんか考えないサルがやることだ」、「憲法を真面目に議論しようとしたら、毎週開催なんてできるわけがない。私は憲法学者だが、毎週議論はできない」、「何も考えてない人たち、蛮族の行為、野蛮だ」と発言したことが問題になっています。

「サル」「蛮族」という表現を使ったことが特に問題視され、小西氏は3月31日、参院憲法審査会の野党筆頭幹事を更迭されてしまいました。

過激な発言を行ったことは注目を集め、極めて問題だとは思いますが、小西氏が自身を「憲法学者」と名乗ったことにも驚きの声が出ています。 

小西洋之氏は、本当に憲法学者なのでしょうか。

本記事では、「憲法学者」とはどういった方を指すのか、考察したいと思います。

「憲法学者」の定義とは?

「憲法学者」という資格があるわけではなく、明確な定義があるわけではありません。

したがって、憲法の勉強をしたことがあれば、誰でも自称であれば憲法学者を名乗ることができるという考え方もあり得ます。

ですが、一般的に学者という肩書が一定の社会的地位を伴うものと考えられている以上、たとえば学生やおよそ学術的な研究をしたことがない人まで憲法学者を名乗ることができるというのであれば、それは常識的な感覚としておかしいようにも思えます。

社会的な相場として、大体憲法学者と言われるために必要な条件があるのではないでしょうか。

憲法学者と言われている方々においてだいたい共通することは、①「多くの学術論文を書いたことがあり、」②「大学で教えていたことがあること」です。

①について、学術論文はたとえば大学院生も執筆するため、ただ学術論文を書いたことがあるだけでは実績に乏しいと思います。

また、②について、大学で教えている教員の中にも、弁護士等が実務家教員として憲法の講義をしている場合があり、論文執筆をメインの業務としていないのであれば、憲法学者とまで名乗るのは違和感があるように思います。

ですので、個人的には、この二つを備えてはじめて憲法学者といえるのではないかと思います。

もっとも、例外的に②大学で教えていないのに、著名な憲法学者として知られている方もいます。

憲法・憲法史研究者として知られる鈴木安蔵(明治37年~昭和58年)は、共産主義者であったため、戦前・戦中において大学で教えることができませんでした。

ただ、彼が戦後主要メンバーとして参加した研究会(憲法研究会)の憲法案が、一説では日本国憲法の内容に影響を与えていたと言われていたり、学会の一つ憲法理論研究会を創設するなど、在野ながら学界に大きい影響を持っていた人物です。

しかし、在野ながら著名な憲法学者というのは、鈴木安蔵以外にはいないと思われます。

この場合は、極めて例外的なケースだと思います(なお、鈴木安蔵も晩年は大学で教えています)。

小西氏の場合

現在では、研究者がどのような学術論文を書いたのかは公開されており、インターネットで検索することができます。

検索の結果、小西氏は論壇誌への寄稿が多いものの、憲法の学会の学術誌にも論文を書いています。

参考:憲法理論研究会編「市民社会の現在と憲法」

多く書いているかはともかく、学術論文の寄稿はしているようです。

一方で、小西氏は法学部や法学系の大学院にいた経験がなく、法学の研究者としての経歴はありません。

また、官僚出身の政治家である小西氏は、大学で憲法を教えていたこともありません。

ですから、結論として、小西氏を憲法学者と呼ぶのは難しいのではないでしょうか。

小西氏と学界との繋がり

おそらく、小西氏は、多くの憲法関連の執筆を行い、学会誌にも発表したことから、自らの憲法の専門性に対する自信を深めていき、「憲法学者」を名乗る今回の発言に繋がったのだと推測されます。

ですから、全く唐突に憲法学者を自称したというわけでもないのでしょう。

また、小西氏が寄稿している憲法理論研究会ですが、これは上述したとおり共産主義者であった鈴木安蔵が創設した学会です。

ですので、どちらかというと左派傾向が強い学会ということになります。

小西氏と憲法学界が、護憲運動を展開していく上で協力関係を築いているのではないかと推察されます。

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ひのもと法律事務所
輿石逸貴 弁護士(静岡県弁護士会)


令和3年1月にひのもと法律事務所を設立。静岡県東・中部を中心に、不動産、建築、交通事故、離婚、相続、債務整理、刑事事件等、幅広い分野に対応する。 憲法学会に所属し、在野での憲法研究家としての一面も持つ。