【弁護士が解説】憲法97条をなぜ削除するのか【理由|最高法規】
日本国憲法の第97条は、第10章「最高法規」の章において基本的人権について定めたものです。
ですが、自民党改憲案では97条が削除されています。
そのため、この点についてどういう意図があるのか、削除する理由は何なのでしょうか。そして、97条は削除した方がよいのでしょうか。
それを知るために、まず、97条とは一体どのような条文なのか、その意味を知る必要があります。
本記事では、憲法97条についてわかりやすく解説いたします。
不可解な条文、97条
97条は、日本国憲法の第10章「最高法規」の冒頭に書かれています。
実際に第10章を読んでみましょう。
第十章 最高法規
97条 「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」
98条 「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」
2 「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」99条 「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」
まず、98条を見ると、憲法が最高法規であることを述べた上で、最高法規である憲法に反する法律等(下位の法)は無効になることを述べています。
98条は、憲法が最高の効力を持つことを規定したもので、まさに最高法規であることを直接的に示した法文といえるでしょう(憲法が最高の効力を持つことを「形式的最高法規性」と言います)。
そして、99条は、公務員等が最高法規たる憲法を擁護し尊重しなければならない義務を定めたものです。
一方、97条を見てみましょう。
「97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」
基本的人権は永久のものであるということが述べられていて、憲法が最高法規であることとは一見関係がない話が書かれています。
さらに、11条を見てみましょう。
「11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」
ここでも、基本的人権は永久の権利であるという話が出てきており、特に11条後段は97条と同じ意味内容の法文です。
11条は、第3章の「国民の権利及び義務」の中に書かれています。
国民の権利についての章の中で、11条のような基本的人権の性質について書かれた法文が出てくるのはわかります。
なぜ11条と同じ意味・内容の法文が、人権とは関係ない章の中で出てくるのでしょうか。
97条作成の経緯
同じ内容の条文が2つあり、しかも1つは一見関係のない章の中に入れられている意味を知るには、憲法作成の経緯を振り返る必要があります。
実は97条の原案(注1)は、GHQの民政局長(日本の占領政策部門の責任者)であったコートニー・ホイットニー将軍が自ら書いたものでした。
日本政府はGHQからホイットニー将軍お手製の法文を日本国憲法に入れるよう懇願されたので、ホイットニー将軍に忖度して97条を残したのです。
「あれはチーフ(ホイットニー民政局長)のお筆先になる得意の文章であり、どうも削ることは具合が悪い。せめて尻尾の方の第10章あたりに復活することに同意してもらえないか」ということになったので、11条とダブるけれども97条を入れたのでした(芦部信喜『憲法学Ⅰ 憲法総論』有斐閣58頁)。
これは日本国憲法の起草に携わった佐藤達夫氏の文献から明らかになっています(『日本国憲法誕生記』)。
ですので、97条は本来必要がないともいえる条文なのです。
教科書上の97条の法的意味
ところが、憲法の教科書には次のように書かれています。
憲法は、人間の権利・自由をあらゆる国家権力から不可侵のものとして保障する点で、ただの法律とは異なるから最高法規なのだ。97条はそのことを規定したものであり、憲法の「実質的最高法規性」を規定したものなのだ、というのです(芦部信喜『憲法第七版』12頁)。
つまり、基本的人権は非常に大事なもので侵してはならないのであり、そのことを定めている97条が憲法を最高法規たらしめているのだ、というわけです。
憲法が最高の効力を持つ法規であること(形式的最高法規性)の理由・根拠(実質的最高法規性)が、憲法97条では述べられているのです。
現在の憲法学説では、「基本的人権の確立こそ‥憲法の核心をなすものであり、したがって、その貴重なゆえんを強調したこの条文(97条)は、まさに実質的な意味での最高法規性につながる」という立場が有力です(芦部『憲法学Ⅰ』58頁)。
97条は本当に必要な法文なのか
しかし、そうだとしても、11条に同じ内容の法文があるのであれば、11条があればやはり十分だとする見解も有力です。
また、憲法が最高法規であることを規定することは重要だとしても、最高法規である理由・根拠までを憲法にわざわざ書く意味があるのかという疑問もあります。
刑法の殺人罪(199条)は重要な条文ですが、なぜ人を殺してはいけないのか、その実質的理由まで刑法には書かれていません。
97条は憲法が最高法規である理由・根拠を述べているだけで、それ自体が何らかの法的効力を持つ法文ではないので、仮に存在しなくとも憲法の内容自体には影響がない条文だ、とも言い得るのです。
むしろ、憲法を実効的に最高法規たらしめている制度として、日本国憲法は違憲審査制を採用しています。
これは、憲法に反する法律や政府の行為を裁判所が憲法違反であり無効とする判断を下す制度です。
これにより、全ての法律や国家の行為は憲法の下、施行・行われることになります。
憲法を実質的に最高法規たらしめているのは、理念ではなく実効性のある制度なのです。
ですから、97条の存在意義が疑わしいとする見解が存在するのです。
削除により人権は失われるのか
97条は基本的人権について説明している条文であることから、これを削除すると、基本的人権自体が失われてしまうといった声も聞かれます。
しかし、これまで述べてきた考え方に立つと、97条を削除することによって直ちに基本的人権が失われるかのような言説は誤りであることがわかります(たとえば、小西ひろゆき参議院議員の投稿「憲法97条削除は「基本的人権が永久の権利でなくなること、それを侵してもいいものになること」を意味する。」(令和7年1月18日閲覧))。
また、憲法が最高法規である理由を97条が示しているとします。
そうだとしても、最高法規の章に書かれており、基本的人権の説明ではなく、なぜ憲法が最高法規なのかを説明しなければならないのですから、「基本的人権」を主語とすることはおかしいように思われます。
「憲法は~こういう理由で最高法規なのである」という文章にしなければ、国語的にも整合しないように感じられます。
そのように考えていくと、97条を削除すべきだという考え方にも一理あると思われますし、また、削除するのにもし抵抗があるのであれば、せめて文章表現を直して、より整合的な法文にする必要があるように思われます。
削除により天賦人権思想は否定されるのか
自民党改憲案Q&Aの37頁では、97条を削除する理由として、上で述べてきたとおり、「現行憲法11条と内容的に重複している‥と考えたために削除したものであり」、「現行憲法の制定過程を見ると、11条後段と97条の重複については、97条のもととなった総司令部案10条がGHQホイットニー民政局長の直々の起草によることから、政府案起草者がその削除に躊躇したのが原因であることが明らかになっている」とする解説がなされています。
また、「人権は神から人間に与えられるという西欧の天賦人権思想に基づいたと考えられる表現を改めた」との解説もあり、これが天賦人権思想を否定したものとも読めます。
しかし、基本的人権は現在では「人間であることにより当然に有するとされる権利」と説明されており(人権の固有性。注2)、かつてジョン・ロックが『市民政府二論』で述べたように人権が神から与えられるから尊いのであるという神学的な説明はしていません。
自民党解説は、人権は神から与えられるから大事なのではなく、人として当然に持つべき権利であるという、今日ではある意味で当たり前のことを言っているだけに過ぎないとも言えます。
(注1)ホイットニー民政局長が書いた原案は次のとおりです。
「日本国ノ人民ハ何等ノ干渉ヲ受クルコト無クシテ一切ノ基本的人権ヲ享有スル権利ヲ有ス」(マッカーサー草案第三章9条)
「此ノ憲法ニ依リ日本国ノ人民ニ保障セラルル基本的人権ハ人類ノ自由タラントスル積年ノ闘争ノ結果ナリ時ト経験ノ坩堝ノ中ニ於テ永続性ニ対スル厳酷ナル試錬ニ克ク耐ヘタルモノニシテ永世不可侵トシテ現在及将来ノ人民ニ神聖ナル委託ヲ以テ賦与セラルルモノナリ」(同10条)
特に10条は、法文というよりは芸術的ともいえる文章になってしまっていたため、日本政府は修正を行いました。
(注2)芦部信喜著・高橋和之補訂『憲法第七版』80頁
ひのもと法律事務所
輿石逸貴 弁護士(静岡県弁護士会)
令和3年1月にひのもと法律事務所を設立。静岡県東・中部を中心に、不動産、建築、交通事故、離婚、相続、債務整理、刑事事件等、幅広い分野に対応する。
憲法学会に所属し、在野での憲法研究家としての一面も持つ。