安倍元首相の国葬が、令和4年9月27日に、日本武道館で行われることになりました。

この国葬について、法律の根拠がないのではないか。あるいは、憲法に違反するのではないかという批判が出ています。

国葬を行うことは、法的に問題があるのでしょうか。

国葬には「法律の根拠がない」?

安倍元首相の国葬については、「法的根拠がない」という指摘が特にさかんになされています。

果たして、この指摘は正しいのでしょうか。

行政に関する法律は、大まかに3つに分類することができます。

一つ目は、組織規範といって、行政の組織と任務を定めた法律です。

たとえば、内閣府設置法は組織規範にあたります。

二つ目は、根拠規範といって、行政が活動するにあたりその条件と効果を規定した法律です。

要は、行政の活動の根拠となる法律です。

三つめは、規制規範といって、行政の手続・方法を定めた法律で、行政手続法がその例にあたります。

国葬については、内閣府設置法4条3項33号に、内閣府の権限として、「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること」が規定されており、内閣府が「国の儀式」として国葬を行い得ることが既に法律に書かれています。

そうすると、政府が国葬を行う権限があることを定めた法律は、既に存在するということになります(注1)。

「法的根拠がない」という批判をしている論者は、実はただ法律がないと言っているわけではなく、根拠規範、つまり国葬をする根拠となる法律がないと言っているわけです。

しかし、我が国の実務上、侵害留保説といって、個人の自由や財産を侵害する場合のみ法律の根拠があればいいという運用が確立しています。

なぜかというと、あらゆる行政活動に法律の根拠が必要とすれば、個人の利益になる活動すべてに法律の根拠が必要ということになり、国が個人の利益になる活動を控えるようになってしまいかねないからです。

そうすると、今回の件でいえば、安倍元首相の国葬は、ただ国が葬儀を執り行うというだけであり、誰かの権利や財産を侵害しているわけではありませんから、実務の運用からいえば、法律の根拠は必要ありません。

ですから、実務的運用の理解に基づく限りにおいて、「法律の根拠がないから国葬は許されない」という指摘は誤りだということになります。

侵害留保説には批判もあり、あらゆる行政活動には法律の根拠が必要だという全部留保説という見解もあります。

全部留保説に立てば、国葬には法律の根拠が必要であり、法律の根拠が現にない以上、国葬は違法であるとする批判は間違いではありません。

しかし、上で述べたとおり、全部留保説には国民の利益になる行政活動を消極化させてしまうという欠点があるため、実務では採用されていません。

全部留保説に立って国葬を批判するのであれば、少なくとも侵害留保説に対し説得的な批判をした上で、全部留保説に立つことを論じなければなりません。

しかし、ある憲法学者の記事のように(『松野官房長官の詭弁…国葬を内閣の「裁量」でできるはずがない』)、侵害留保説についての議論を全くせずに、国葬には法律の根拠が必要なのに現にないから問題であるとしか述べていない論述は、法律の専門家の見解としては重要な論点を欠落させている点で問題があると思います。

国葬は「思想の自由に対する侵害」?

でも、国葬をすることで、国民の思想良心の自由に対する強制になるのではないでしょうか。

もしそうだとすると、憲法違反であると同時に、国民の自由を侵害するものだから、やはり法律の根拠は必要になるはずだという見解もあるかもしれません。

判例は、思想の自由について、直接侵害するものは憲法違反だが、間接的に制限するものに過ぎない場合は、制約の目的・内容・態様を総合考慮し必要性・合理性が認められれば憲法に違反しないとしています(最判平成23年6月6日、君が代斉唱起立訴訟。注2)。

今回でいえば、安倍さんの国葬をすることで、その結果として安倍さんの国葬に反対する人に不快感を与えるかもしれませんが、特定の思想を持つことを強制したり禁止したりするものではないですから、反対する人の思想を直接制限しているわけではありません

葬儀が思想良心の自由に対する間接的制約にあたるとしても、葬儀の目的が一政治家の追悼のためなされ、追悼の目的に沿った葬儀が行われる一方、国民の思想の自由を制限する程度はあくまで不快感にとどまるものですから、憲法に違反するものではありません

(そもそも、安倍元首相の国葬には国民に出席しない自由がある以上、「国葬が行われることへの不快感」は、国民の思想の自由に対する間接的制約にすら当たらないのではないか、とも考えられます。)

ただし、もし追悼したくない人にまで追悼を強制した場合には、思想の自由に対する直接的制約として憲法違反になる可能性があります。

国葬は「政教分離に反する」?

国葬は、憲法が定める政教分離には反しないのでしょうか。

政教分離は、国が宗教的活動をしてはいけないという原則です(憲法20条3項)。

判例では、①国の行為の目的が世俗的なもので、②行為の結果、宗教の助長や他の宗教へ圧迫を与える効果がなければ、宗教的活動にはあたらないとしています。

いわゆる、目的効果基準とよばれる基準です。

今回でいえば、国葬は一見宗教的行為に見えますが、特定の宗教儀式を行うというよりは社会的儀礼を行うことを目的とするものであり、結果的に特定の宗教を優遇したり他の宗教を迫害するものでもないですから、宗教的活動には当たりません。

宗教的活動にあたらない以上、政教分離には反しません。

国葬が憲法違反にあたるという批判を見ても、どちらかといえば思想良心の自由に反するという意見が多く、政教分離に反するという意見は少ないように見えます。

国葬は「平等に反する」?

憲法学者の木村草太教授は、憲法14条の平等原則に違反しうるとも言っています(『安倍元首相の国葬「法の下の平等に反する」 木村草太教授 客観評価で説明を』)。

ここで注意すべきなのは、木村教授は、国葬が直ちに平等に反すると言っているわけではなく、「『国葬を行うべき理由』を説明できないなら、憲法の平等原則に違反する」と言っている点です。

理由もなく国葬を行ったらそれは問題でしょうが、政府は理由を一応説明しています(注3)。

政府の説明する理由が合理的かどうかが少なくとも政治的には問題になります。

しかし、そもそも、平等原則というのは、社会のあらゆる区別に対して生じる問題であり、適用範囲が極めて広い原則です。

ですので、平等原則をあまり厳密に適用すると、社会のあらゆる差異が憲法に反する「差別」となりかねません。

したがって、国民の平等・不平等が直接問題になっている場合以外に、平等原則を持ち出して議論するのは、妥当ではありません。

また、仮に訴訟となったとしても、国葬が、他の権利侵害にあたらないのに、平等原則にだけ違反するということは考え難いです。

ですから、政府が国葬を行う理由に果たして合理性があるのか疑わしかったとしても、そのことで直ちに平等に反し無効ということにはならないでしょう。

この問題で平等違反を主張するのは、少なくとも筋が悪い主張に見えます。

「全国戦没者追悼式」は閣議決定だけで行われている

法律の根拠なく、政府が宗教性を伴う儀式を行っている例はいくつもあります。

たとえば、毎年8月、政府主催で終戦の日に行う「全国戦没者追悼式」は、明文の根拠規定がありません

東日本大震災の追悼式も同じで、閣議決定だけで行われています。

そうすると、これらは閣議決定だけで行うことが許されるのに、国葬にだけなぜ法律の根拠が必要になるのかは、疑問になるところです。

安倍元首相は国葬にふさわしいのか

安倍元首相の国葬を行うことにつき、法的には問題はないと思われます。

むしろ、法的な問題というよりは、まさに安倍元首相が国葬されるにふさわしい人物だったのかが政治的判断として検討されるべきなのだと思います。

また、国葬が行われたとしても、政府や自治体は、参加しない人の自由が十分に保障され、参加者以外にまで弔意を過度に強制することがないよう注意しなければならないのは当然のことです。


(注1)岸田首相は、令和4年7月14日の記者会見において、内閣府設置法上の内閣府の所掌事務として明記されている「国の儀式」として、閣議決定をすれば実施は可能であると説明しました。
(注2)同判決は、教職員に対し国歌斉唱の際に起立斉唱を求める行為は、「特定の思想を持つことを強制したり、これに反対する思想を持つことを禁止したりするものではなく、特定の思想の有無について告白することを強要するものということもできない」から、「個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するもの」ではない。
もっとも、「歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となるものに対する敬意の表明の要素を含むことから、そのような敬意の表明には応じ難いと考える‥人らにとって,その歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行動となるものである。この点に照らすと‥一般的、客観的な見地からは式典における慣例上の儀礼的な所作とされる行為を求めるものであり,それが結果として上記の要素との関係においてその歴史観ないし世界観に由来する行動との相違を生じさせることとなるという点で、‥思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面がある」。
「他方、(中略)公立高等学校の教職員‥に対して当該学校の卒業式や創立記念式典という式典における慣例上の儀礼的な所作として国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とする本件各職務命令は、高等学校教育の目標や卒業式等の儀式的行事の意義、在り方等を定めた関係法令等の諸規定の趣旨に沿って、地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性を踏まえ、生徒等への配慮を含め、教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図るものである」。
 そうすると、「思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの、職務命令の目的及び内容並びにこれによってもたらされる上記の制約の態様等を総合的に較量すれば、上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められる」
と述べ、国歌斉唱の際の起立斉唱を求める職務命令は憲法19条には違反しないと判示しました。
(注3)岸田首相は理由について、①史上最長期間において首相に在任していたこと、②経済再生など歴史に残る業績があったこと、③諸外国における敬意と弔意に対する配慮、④民主主義の根幹である選挙活動中の非業の死であることの4点を挙げました。

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輿石逸貴 弁護士(静岡県弁護士会)


令和3年1月にひのもと法律事務所を設立。静岡県東・中部を中心に、不動産、建築、交通事故、離婚、相続、債務整理、刑事事件等、幅広い分野に対応する。 憲法学会に所属し、在野での憲法研究家としての一面も持つ。