令和4年4月時点で、国会の憲法審査会において、憲法を改正して「緊急事態条項」を導入すべきだとする議論が盛んに行われています。

一方で、「緊急事態条項はやばい」「独裁になる」といった危険性に警鐘を鳴らす(または危険性を煽る)声も聞かれます。

憲法に、新たに緊急事態条項を設けるメリットとは何でしょうか?

緊急事態条項とは

緊急事態条項とは、平時を前提とした政府の通常の運用では有効に対処することが難しい緊急事態が発生した場合を想定して、一時的に、権力分立や一定の人権を制限しながら、迅速に非常事態の収拾を図る規定です。

緊急事態の典型的な例は、戦争や災害、そして新型コロナウイルスのような社会の機能を損なうようなレベルの疫病が流行った場合です。

日本国憲法には、このような意味での緊急事態条項が存在しません。

ただし、日本国憲法54条1項には「衆議院が解散されたときは、(中略)内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる」と規定されており、衆議院が解散されている間に緊急事態が起こった場合に参議院の緊急集会を暫定的な国会として機能させる制度があります。

これは、緊急事態を想定した条項の一つといえるでしょう。

ちなみに、広い意味での緊急事態条項を含むと、世界各国の憲法の93.2%には、緊急事態条項が明記されています(平成25年時点、衆議院法制局「緊急事態」等に関する論点説明資料)。

また、国際法上も、国際人権規約―市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約)第4条1項において「国民の生存を脅かす公の緊急事態の場合においてその緊急事態の存在が公式に宣言されているときは、この規約の締約国は、事態の緊急性が真に必要とする限度において、この規約に基づく義務に違反する措置をとることができる」と定められており、緊急事態において平時とは異なった必要性に基づく権利制約を認めています。

緊急事態においては権利の制限が必要になる

新型コロナウイルスの流行の場合は、社会の緊急事態であるから政府は有効な対策をとらなければならないが、政府が私権制限をどこまで許されるかということが盛んに議論されました。

「私権」とは、本来私法(民法など)上認められる権利のことであり、ここで言われているのは憲法上保障されている「個人の権利」のことですから、法的に正確な表現ではありません。

非常時の場合には、政府は強力な対策を素早く行う必要があります。

しかし、強力な対策を行うには、それに伴い、個人の権利に制限をかける必要が発生します。

また、素早い対策をとるには、平時の手続をとっていては間に合わないという場合が発生してしまいます。

そのため、緊急事態には、平時とは異なる個人の権利に対する制限をある程度まで許容する制度と簡潔迅速な手続を定めた法整備が求められるのです。

「公共の福祉」では対処できない

 日本国憲法には、前述のとおり、本来の意味における緊急事態条項がありません。

 そうすると、日本国憲法はもっぱら平時を前提とした憲法であるということができます。

 平時であっても、国会が立法し、政府が政策を行うにあたり、やむを得ず個人の権利を制限しなければいけない場面は日常的に発生します。

 そのような場合に、権利の制限を正当化するものは「公共の福祉」(憲法13条、22条1項、29条2項)です。

 日本国憲法13条には、「国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定められています。

この規定を読む限り、国民の権利は公共の福祉に反しない範囲において保障されるものであると読めることから、政府は「公共の福祉」のために国民の権利を制限することができるとされています。

そこで、「公共の福祉」のためである限り政府は国民の人権を制限できるのだから、非常時においても「公共の福祉」の名目で政府は国民の人権を制限できるはずだ、という主張もあります。

実際、憲法審査会において立憲民主党はそのように主張しています。

 しかし、この主張には、次のような問題があります。

平時の人権制約は必要最小限度であることが原則

平時・非常時にかかわらず、国民の生命・健康を守るために経済的自由に制限をかけることを、法学の用語では、「経済的自由に対する消極目的規制」といいます。

経済的自由に対する消極目的規制がどのような場合に違憲(憲法違反)になるのか、既に薬事法違憲判決という判例がでています(最大判昭和50年4月30日)。

「職業の許可制は、(中略)その合憲性を肯定しうるためには、原則として、重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置であることを要し、また、それが社会政策ないしは経済政策上の積極的な目的のための措置ではなく、自由な職業活動が社会公共に対してもたらす弊害を防止するための消極的、警察的措置である場合には、許可制に比べて職業の自由に対するよりゆるやかな制限である職業活動の内容及び態様に対する規制によつては右の目的を十分に達成することができないと認められることを要するもの、というべきである。」

つまり、経済的自由に対する消極目的規制は、原則として、自由に対するよりゆるやかな制限である規制によってはその目的を十分に達成することができないと認められることを要する、と判示しています。

法学の用語では、これをLRAの原則(Less Restrictive Alternative より制限的でない他の選びうる手段の基準)といいます。

もっとわかりやすく言えば、経済的自由に対する消極目的規制の場合は、最も人権に対する制約が小さい手段をえらばなければならない、そうでなければ憲法違反である、と言っているのです。

LRAの原則は、人権に対して常に必要最小限度の規制だけが許される原則とも言い換えることができます。

この基準は、政府の個人の権利に対する制限を最小化させることを狙いとしている基準です。

ですので、平時であれば、違憲になりにくい基準ということができます。

緊急時の基準を憲法に設けた方がよい

しかし、この判例の基準は、非常時には問題になる可能性があります。

非常時には、その対策のために最も有効な手段を速やかに政府は選択する必要があります。

一方、LRAの原則からすると、政府は常に最も人権制約が小さい手段を選ばなければならないことになります。

政府は、緊急時であっても、数ある手段の中から最も対策に有効な手段を選ぶことはできず、最も権利制限の小さい手段を常に選ばなければならないのです。

2つの考え方は、異なるものであり、両立できません。

平時を前提としている現行憲法の規定だけでは、非常時における政策が次々と憲法違反となって無効になってしまうおそれがあるわけです。

たとえば、都市封鎖・ロックダウンをしなければいけないという事態が万が一生じた場合に、都市封鎖・ロックダウンは、実際には、現行憲法の規定の下では、憲法22条に定められている居住移転の自由に反する可能性が極めて高いということができます。

「公共の福祉」による制約では、LRAの原則が働き、最も権利制約が小さい対策をとらなければなりません。

都市封鎖・ロックダウンは、不特定多数の人々の権利を包括的に制限し、移動の自由を完全に制限するものですから、制約の程度としても大きいものです。

したがって、このような制約がコロナ対策のために最も被害が少ない方法であることを証明することは不可能に近いですから、実際には違憲となる可能性が極めて高いということになります。

平成23年の東日本大震災において、原発の周囲が立ち入り禁止となる措置がとられましたが、これは原発の周囲が危険であり、住民の安全のためには立ち入り禁止することが最も被害が少ない方法であることが比較的証明しやすかったので、憲法上問題にならなかったものと考えられます。

以上のように、憲法に緊急事態条項があることのメリットの一つは、緊急時において政府の行為が無効になってしまうおそれを防ぎ、最も有効な対策をとらせることにあると言えるでしょう。

なお、宍戸常寿教授は、「感染症のリスクが従来の専門地の想定を超えているところで‥、比例原則の下では許されない自由の制限もやむを得ないものとすべきかどうかが、論点となる」と書かれており(「新型コロナウイルス感染症と立憲主義」法律時報93巻3号、82頁以下)、これは緊急時に平時には許されないような効果的な権利制約まで許されるべきかがまさに現在争点となっていることを指摘しています。

参考記事:「公共の福祉」の意味とは?

現在、既に違憲訴訟が提起されている

現在、既に「公共の福祉」に基づく政府のコロナ対策規制は憲法違反であるとして、東京地裁に訴訟が提起されています(令和4年3月14日結審、5月16日判決)。

特措法に基づく時短命令を3月に受けた飲食チェーン「グローバルダイニング」が、時短命令は、憲法で保障された営業の自由に対する違憲であるとして、東京都を相手取り、損害賠償を求める訴訟を起こしました。

グローバルダイニングは、訴状の中で、飲食店が主要な感染経路であるという明確な根拠もなく営業を一律に制限できる特措法の規定は営業の自由を侵害しており違憲であると主張しています。

先ほど紹介した判例の理論に従えば、飲食店が主要な感染経路であるということを明確に説明できずに飲食店の営業を一律に制限することは、営業の自由に対する最も人権制約が小さい制約であるということはできず、人権への制約が過剰であり、違憲ということになります。

実際にグローバルダイニングは、訴状の中で薬事法違憲判決の理論を引用して、時短命令は過剰な人権制約にあたると主張しています。

司法消極主義といって、日本は世界でも違憲判決を出すことが極めて少ない国と言われていますので、グローバルダイニングの訴訟で直ちに違憲になるとは言い切れません。

しかし、今の日本国憲法のままでは、憲法違反になるおそれが高いということは言えるでしょう。

※追記

令和4年5月16日、東京地裁は、上記事件の判決において、「不合理な手段とは言えず、営業の自由を侵害しておらず違憲ではない」と判断しました(原告は即日控訴)。

特措法にも欠陥がある

新型インフルエンザ等対策特別措置法(以下、「特措法」といいます)は非常時を想定した法律ですが、平時を想定した現行憲法の規定の考え方が基本になっています。

特措法5条には「国民の自由と権利に制限が加えられるときであっても、その制限は当該新型インフルエンザ等対策を実施するため必要最小限度のものでなければならない」と書かれています。

つまり、特措法や現行憲法の考え方にしたがうと、まず最も人権制約が小さい規制をとり、規制に効果がなければさらに強い効果の規制をとるというやり方にならざるを得ないということになります(百地章『日本国憲法八つの欠陥』第1章参照)。

特措法や日本国憲法における考え方は、軍事でいうところの逐次投入と同じものと考えることができます。

一般に、戦力を小出しにして投入していく方法は、最も効果が出にくく、悪手とされています。

同様に対策を小出しにしていくので、緊急事態に対する対策としての効果がでてこないのです。

非常時においては、はじめに最も有効な対策をとらなければならない一方で、日本国憲法の現在の規定は、それに反した考え方をとっているという意味で欠陥があると考えられます。
 
ですから、平時とは別に、非常時に対応した憲法の運用が必要であり、その根拠を憲法に新たに明記する必要があるのだということになるのです。

法律が憲法違反になるおそれがある

 既に作られている非常時を想定した法律も、違憲にならないとは限りません。

 緊急時に、所有者の同意なく土地を利用したり、必要物資の供給を要請することができるという規定は、既に特措法に規定があるのですが(特措法49条、50条)、実際にこの規定を発動した場合に憲法29条で定める財産権の侵害にあたり、違憲となる可能性が全くないわけではありません。

 というのは、裁判所が法律を作るわけではないので、法律が作られても、その法律が違憲にならないとは限りません。

また、法律は憲法に反しないけれども、実際に法律を適用する限りにおいて違憲である(これを「適用違憲」といいます)ということもあり得ます。

衆議院議員の任期満了時に緊急事態が起こった場合はどうするのか

自民党の新藤義孝氏は「国会機能を最大限維持することができるよう、議員の任期延長の規定は必須だ。

憲法で規定された参議院の緊急集会は衆議院が解散された際の制度で『緊急集会があるから任期延長は不要だ』というのは無理がある」と述べています(令和4年4月7日付NHKニュース)。

参議院の緊急集会の制度とは、衆議院が解散されて総選挙が施行され、特別会が召集されるまでの間に、国会の開会が必要な緊急事態が発生したときに、参議院の集会を国会に代行させるものです。

しかし、憲法54条2項は、参議院の緊急集会を開催できる場合を衆議院の「解散の場合」に限定しているため、衆議院議員が任期満了した場合に緊急事態が起こった場合には、緊急集会を開催できず、選挙が実施できないため、国会の臨時会を開くこともできないという事態が生じ得ます

実際、阪神淡路大震災と東日本大震災では、任期満了が迫っている地方自治体議員に対し、国会が特例法を制定して任期を延長しました。

国会議員で同じことが起きないという保証はありません。

なお、学説の中には、議員の任期満了の場合でも議員が存在しないという状況は同じなのだから、「解散の場合」と同じと考えて、参議院の緊急集会を開催できるというものがあります。

しかし、憲法には、国家権力を制限して国民の権利を守る(これを「立憲主義」と呼ぶことがあります)という重要な目的があります。

憲法の条文を明文にない場合にも広げて解釈して、国家機関が権力を行使できる場合を認めることは、国家権力に対する制限を解くものですから、立憲主義の観点から問題があると言えます。

そこで、憲法改正によって、緊急時の衆議院議員の任期延長と選挙の延期ができる規定を憲法に設ける必要があるということになります。

自民党改憲案の緊急事態条項

 それでは、自民党の考えている緊急事態条項案とはどういうものなのでしょうか。

平成25年に発表された自民党改憲案98条、99条の内容を説明すると、事後に国会の承認を得ることを条件に、①内閣が法律と同一の効力を有する政令を制定することができる、また、②内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる、という内容です。

実は、これと同じような規定は、緊急命令と緊急財政処分といって、現代ではオーストリア、イタリア、スペイン、台湾といった国々の憲法に規定されています。

また、かつては、大日本帝国憲法にも規定されていました。

実際に、イタリアやスペインでは、今回のコロナを受けて憲法上の緊急事態条項が発動されています。

ナチスの独裁と同じ?

 自民党の緊急事態条項について、ナチス時代の国家体制と同様であるとか独裁を認めるものだという批判があります。

まず、ナチスは何をやったのかについて解説します。

当時のドイツには「ワイマール憲法」という憲法がありました。

同法の48条2項には次のような規定がありました。

「ドイツ国内において、公共の安全と秩序が著しく乱されるか、または危機にさらされるとき、大統領は、公共の安全と秩序を回復するために必要な措置をとることができ、必要があれば武装兵力を用いて介入できる。
この目的のために、大統領は憲法第114条(人身の自由)、第115条(住居の不可侵)、第117条(通信の秘密)、第118条(表現の自由)、第123条(集会の自由)、第124条(結社の自由)、第153条(財産権の保障)に定められた基本的人権の全部または一部を、一時的に停止できる」

 この規定の問題は、基本的人権の全部を停止することができるということと、緊急事態がいつまで続くのか書いていないことにあります。

さらに、政府が人権侵害をしても裁判所がそれを無効にするという機能(これを「違憲審査制」といいます)が当時のドイツにはありませんでした

結局、ナチスはずっと緊急事態が続いているということにして、基本的人権を停止したままにしてしまったのです。

一方、自民党の改憲案を読むと、次のように書いてあります。

98条2項

「緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。」

3項

「内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。
また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。」

99条3項

「緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。
この場合においても、第14条、第18条、第19条、第21条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。」

4項

「緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。」

 以上のとおり、自民党案では、緊急事態宣言下でも基本的人権が停止されないことが明記されています。

また、100日ごとに国会の承認を得なければなりません。

さらに、緊急事態宣言下であっても、政府が人権侵害を行った場合には当然裁判所が違憲であり無効であるとの判断を下すことになります。

ですので、内閣が永久に独裁し、人権を停止するということに対する歯止めは一応備わっていると言えます。

 ちなみに、ナチスは緊急事態条項とは別に、正規の法律である全権委任法によって議会から立法権自体を丸ごと奪ってしまっており、この点からも現在の日本とは必ずしも同一視できません。

 そもそも、前述のとおり、現代では、海外を見ても、世界中の90%以上の国に憲法上の緊急事態条項が備わっています。

 アメリカ合衆国には明文で緊急事態条項がありませんが、アメリカは慣習を重視する英米法の国であり、大統領に不文の国家緊急権として、強力な権限が認められています。

 そうすると、緊急事態条項を入れるということだけで直ちにナチスの国家体制を想起させるものであるというのであれば、世界中の国がナチスと同じことをしている危険な国ということになってしまうことから、誤りであると言えます。

以上のとおり、ナチスが暴走したワイマール憲法と自民党改憲案を、緊急事態条項があることのみをもって直ちに同一視できるものではなく、内容を個別具体的に検討していく必要があるのです。

 また、自民党の改憲案は国家総動員法のようなものだ、という指摘もあります。

しかし、国家総動員法は完全なる正規の法律であり、憲法上の緊急事態条項の議論とは直接関係がありません。

戦前の日本の場合

 ちなみに、大日本帝国憲法には、緊急命令、緊急財政処分、戒厳令、非常大権といった様々な緊急事態条項がありました。

 大正12年の関東大震災のときには、東京は壊滅し、議会を招集することが困難でしたが、そのときに役に立ったのが緊急命令と緊急財政処分です。

 当時の山本権兵衛内閣は、被災者の食糧援助、物価高騰の抑制、債権の支払い猶予、一時的な課税の免除、臨時物資供給のための特別の会計など、様々な緊急措置を緊急命令と緊急財政処分によって次々と実施させました。

これらの命令は後日、帝国議会で承認されています。

 これは、緊急事態条項の成功例として評価できるでしょう。

 一方で、昭和3年、田中義一内閣が、帝国議会で否決されたにもかかわらず治安維持法の改正を緊急勅令によって強行したという例もあり、緊急事態というよりはむしろ政局の都合のために緊急事態条項が使われた例が全くないわけではありません。

緊急事態の要件はあいまいか

自民党案98条1項には、「我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、(中略)緊急事態の宣言を発することができる。」と規定されています。

 この点、自民党案の緊急事態宣言を出す要件はあいまいなのではないか、という指摘があります。

 しかしながら、予期せぬ事態の到来こそが緊急事態であって、あまりにも要件を具体化しすぎると、不測の事態に対応できないので本末転倒になる可能性があります。

 実際、フランス共和国憲法16条では、「共和国の制度、国の独立、領土の保全等が重大かつ直接脅かされているとき」大統領の緊急措置権が発動できるというふうに概括的な表現が使われています。

とはいえ、上述のとおり、日本ではかつて、緊急事態であるといえるかが明白ではない場面で政局のために緊急事態条項が使われた例があることから、条文で要件を過度に具体化するよりは、緊急事態の認定につき司法審査が十分に及ぶことが大切です。

戦前の日本には、裁判所に憲法判断をする権限がありませんでしたから、現在の日本と状況が異なることに注意する必要があります。

要件の具体化以上に重要なのは、ナチスが濫用したような事態を防ぐため、緊急事態に期限を設けることだと思います。

自民党案の改善点

平成30年に発表された自民党案の問題点として、非常時が「大地震その他の異常かつ大規模な災害」に限定されていることが挙げられます。

 東日本大震災を踏まえて要件が限定されたのでしょうが、非常事態は必ずしも自然災害に限られるものではありません。

 この案は、後に発生した新型コロナウイルス感染の世界的大流行やロシアのウクライナ侵攻といった世界情勢を踏まえたものではありません。

 非常事態の要件として、災害のみならず、感染症の流行や武力侵攻も加えるべきでしょう。

 また、確かに一般論として緊急事態条項は、それを利用して政権が独裁をはかろうとする危険性があるものです。

したがって、私見では、たとえばフランスには憲法院と呼ばれる憲法裁判所が緊急措置権の行使後に当然に審査を行って裁定できるという規定があることから、日本でも緊急事態宣言の行使から一定期間を経過したときは、最高裁判所が当然に宣言の是非を審査し裁定できるという規定を入れれば、より良い制度になると考えています。

日本では、最高裁は行政から独立した機関であるという国民の信頼が一般的には存在すると思いますので、最高裁による審査があれば、権力に対する抑止としての機能は十分に果たされるのではないかと思います。

もっというと、憲法改正を機に、専門の憲法裁判所の設置を考えるというのも、検討に値する議論だと思います。

結論として、緊急事態条項は非常時への対策の面から多くのメリットがある一方、危険性もあるものです。

ですが、ただ危険であるものとして拒否反応を起こすのではなく、条文の内容をしっかりと検討して、緊急事態条項の導入につき議論を深める必要があるように思われます。

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ひのもと法律事務所
輿石逸貴 弁護士(静岡県弁護士会)


令和3年1月にひのもと法律事務所を設立。静岡県東・中部を中心に、不動産、建築、交通事故、離婚、相続、債務整理、刑事事件等、幅広い分野に対応する。 憲法学会に所属し、在野での憲法研究家としての一面も持つ。